村上春樹の不思議な卵

村上春樹の卵です。

ファンの方も多いのではと思います。

僕もそのファンの一人です。

特に「ねじまきとりクロニエル」では完全に小説の中に同期してしまい、暫く戻れないようになった経験があります。

 

左は彼の代表の作品名ですが並べてみるとどうでしょう?数字やカタカナや音楽や不明な名詞が多いことに気づきます。

 

多分名前だけで「予定調和」から外れているのだと思います。

 

ウサギが卵を背負っているイラストを見て下さい。

 

僕の心の中に「ウサギが卵」を背負って僕の心の中へ入ってくるような感覚が僕にはあるのです。

 

「誰もが知っている知らない世界へ」と彼は連れて行ってくれる気がします。

 

伝統的な純日本文学と見比べてみましょう。

 

三島由紀夫 川端康成 谷崎淳一朗

 

「豊穣の海」「雪国」「刺繍」

 

言葉に重さがありますよね。

 

純文学を否定しているわけではありません。

 

彼は伝統への義務の否定をして「文壇」を否定しました。

 

STEVE JOBSTHINK DEFFERENT

 

JAMES DYSONの DEFFERENT & BETTER

 

相通じるコンセプトを感じます。

 

 

 

 

 

村上春樹の卵は心の深いところで孵化するのです。

彼は物語を書きながら自分自身の物語を探しています。そして彼は知っているのです。

「掘り進んで深みに達成出来れば読者と共通の萁層に触れる事が出来る」と言っています。

この孵化場にPRODUCT OUTと同じ「質」のものがある気がして仕方ありません。

ヘルメスと村上春樹はの作品は非常に似ていると思うのです。それは年代が経っても「読者層」が変わらない事、つまり時代と共に進化していて極めてPRODUCT OUT的なのです。

左図の中央の平行線の上の部分は、現象として捉えられる部分つまりMARKET INが可能な部分です。その線の下の部分はINSIGHT MIND を指します。読者が気づいていないこの部分で読者に伝えて共感しているのです。

 

縦軸に適合性 横軸に時間をおきます。

一般的なブランドは時間とともにファンの年齢層も上がってしまい適合しなくなります。しかし彼のファン層の年齢は変わりません。いつの時代も村上春樹は、時代の変化とともに移る人の心が内面に移っていきます。心の深いところの想いや表現が彼もまた変化しているということです。

彼の作品のエンジンは感性志向での創造性だと思います。

彼は言っています。

まずテーマが先にきてテーマに基づいてイメージが膨らんで小説を進行させるから、自分でもどんな進行になるかわからないというのです。心の深いところで見たイメージを自分で見て文章化しているのです。井戸の奥にある不思議なカオスの世界は誰の心にもあるのもです。それを彼は自分の目で見て文章として表現しているのです。ここまでは全く右脳の世界です。

そして彼は左脳に切り替える作業をおこないます。右脳で書き出したイメージを今度は左脳で整えて計算した文章を目指して行くのです。

エルメスやAPPLEDYSONと全く同じ思考が働いています。