海の公園は潮干狩りのメッカである。
毎年5月の連休は3万人以上の人がお手軽近場リソートに訪れる。
人があまりにも多いので僕ら海の公園の常連の犬友は、この時期は早めに散歩を切り上げて遠方から来る家族連れに場所を提供するのである。
しかも5月の連休前に殆ど大きなアサリは獲られている事も地元の犬友は知っているのだ。
イスラエルの海岸の風景についての描写を読んだ事がある。
ご存知の通りユダヤ人は厳格で規則を良く守り絆が固い民族だというイメージがある。
その著者は夏のイスラエルの海岸の風景を観察していた。家族や友人がビーチバレーやテニスをしているどこにでもありそうなバカンスの風景であるが、その著者はしばらく見て何かがおかしな事に気づいた。それは規則的に正しくボールを打ち返している行為の連続で楽しんでいないという事である。つまり楽しんでバカンスしている訳ではなく規則通りにボールを打ち返しているだけで、まるでそれはバカンスの学習をしているというのだ。
僕はその言葉の印象が深く心に残っていた。
それは12時くらいだった。
僕とハチは遅めの散歩に出かけて人でいっぱいの海岸を見ていた。
「すごい人だねハチ」
「迷子になっちゃ駄目だよ」
水場はすいていたので水を飲ませようとリードを長くした。
ハチは一目散に水場に向かった。
そこにユダヤ的日本人の4人家族はいたのだ。
お父さん お母さん 子どものおにいさん 子どものおねえさん
その厳格で規則正しい家族は潮干狩りの収穫を4つのバケツに均等に分け貝を丁寧に洗い並べていた。何万という人がアサリを採りにくるが、こんなに正確に規則正しく並べられたバケツを見たのはこれが初めてだった。
中粒のあさり 大粒のあさり 馬鹿貝 まて貝 不思議なのは4人とも小綺麗で泥や砂がついていない事だ。これくらいの子どもであれば大はしゃぎで貝を掘るから殆ど泥だらけになったり活発な子は浅瀬で泳いだりしてしまう。しかしこの家族は貝掘りを楽しんだり貝と奮闘したあとが全く感じられないのだ。まるで貝掘りの授業を家族で受けてきたようなそんな感じがするのだ。
さてハチである。
水道の水に行かずにその不思議な家族に近寄っているではないか嫌な予感が走る。
予感が走ったその瞬間に全ては終わっていた。本当にこれはやったら嫌だなと思う事は必ず成し遂げてくれるケア―ンテリアがハチである。
ハチはなんとその均一に整然と並べられてある「大粒のアサリ」のバケツに足をあげてステルスシッコ攻撃を終了していた。
お母さんがハチに気づく。
僕は走り寄ってリードを短くして頭を下げて謝る。
「すみません」「すみません」
お父さんも 子ども二人も真剣な顔をして家族で僕を睨んでいる。
「私たち家族は全員犬が大嫌いです」
「近寄らないで下さい」
「向こうに行ってください」
怖い ある種の恐怖を覚えた。
殆どの子どもたちは動物が好きである。
ハチは6キロの小型犬で見た目は可愛い。
しかし子どもたちがハチに全く反応しない。
子どもが反応しないのは初めてだ。
ユダヤの厳格な家族のしおり狩りの収穫におしっこをかけたハチ。
もちろんこちらが100%悪いのはわかっている。
リードを長くするべきではなかった。
僕とハチはこのころは「シッコ犬とその飼い主」で名が通っていた、ある意味謝るのになれていたが、この家族はハチのステルスシッコ攻撃よりもずっと怖かった。
僕はハチを木に繋ぎ、その大粒アサリが入ったバケツを綺麗な水で洗い流して再度謝った。
ハチは不思議そうに僕の行動を見ていた。
「パパ どうしたんだよ!?」
「ハチ、しつ!」
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