「二つの機能」
〜新垣氏と佐村河内氏〜
今回の事件は興味深い。
いわゆる「物の価値の本質」を考えさせてくれるところが非常に面
白いのだ。
「もし」である。純粋に新垣氏が作曲した曲だとして世の中にリリ
ースされていたら、このようにヒットしていたのだろうか?それは
疑問だと言わざる得ない。ワシントンの駅で世界的に有名なバイオ
リニストが路上演奏してもほとんどの人が見向きもしなかった実験
を覚えているだろうか?いくら数億円のバイオリンと世界屈指の技
術を持った演奏者を持ってしても通行人は立ち止まらなっかたので
ある。環境が整わなければ市場に価値は伝わらないのである。
この曲もまた同じように誰も立ち止まることなく多数の陽の目を見
ない曲の中に埋没していたと思うのだ。しかしこの曲の本質はダイ
ヤモンドであり磨けば光る可能性を秘めていたのである。
そう言う面から捉えると、新垣氏は優れた作曲家である可能性が高
いと言える。
では佐村河内氏は一体なんだったのか? 詐欺師という事は外して
客観的に感性的に見てみよう。ズバリ 曲の本質を伝えるための無形
の環境を整える優れたマーケティング担当の役割を担った。
非常に巧妙な曲のイメージの環境パッケージを創る天才なのでる。
彼には本質の曲の感動を「生み出す」ことは出来ない。しかし曲の
本質をいかに人に伝えるか、いかにイメージを創って行くかに長け
ていたのである。聾唖者に扮したのは社会的には許される行為では
ないし詐欺行為だ。ここではそこを外して行く。つまり予定調和を
壊すには、聾唖者の作曲家というタイトルが、NHKをして現代のベ
ートーヴェンと言わせたほど巧みだったのである。普通に考えれば
あり得ない事があり得た時に人は感動を覚える。心にそのイメージ
が引っかかり、他の人に伝えたくなり、価値が勝手に広がって行く
のだ。予定調和を壊すことは、心にフックを掛ける事なのだ。
重ねて言うが、聾唖者という弱者のタイトルで人々を欺いた事は
決して許されない。
この2人の行為は、優れたクリエイターと共感できるマーケティン
グ担当者がこの2人だと言える。これが組織の中で商品企画と販促
策として稼働していたら優れたクリエイションだと言えるのではな
いか。もちろん商品環境を欺くことは罪だ。
これを現実的な商品開発として見てみよう。
似ていないだろうか? 企業が創り出そうとする商品に。「品質が良
いから売れるはずだ パッケージのデザイン経費を削減しろ 」そん
な予定調和歓迎型の商品環境が沢山眠っているのではないだろう
か?
繰り返すが彼の詐欺行為は許せるものではないが、商品の本質を伝
える為の発想力が不足しているのではないだろうか?
海外のブランドの日本への導入のコンサルタントをしていると、
どんな小さなブランドでも必ず「イメージパッケージング」が完成
している。先にイメージを創り上げた上で、「商品」をクリエイシ
ョンしているのが見て取れる。もちろんイメージパケージングと商
品価値、ソフトとハードが同期する事が必須条件ではあるのだが。
今後、著作権がどうなるのか? 純粋な曲としての価値は人々の間に
残るものなのか?法的な部分と人間の内面的な価値観の推移が今後
も気になる出来事である。詐欺まがいのマーケティングが育てた
「名曲」は今後どのような「運命」をたどるのであろうか?
これらの「曲」に罪はあるのだろうか?
音楽そのものに罪が及ばない事を祈りたい。
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