明日の伝統を創る西陣織

 

 

1200年以上の歴史を持つ西陣織は皇室や貴族の為に先染め絹織物に金糸を入れ独自の和柄で絢爛豪華な世界を生み出していた。

呉服商「細尾」の創業は1688年で現在12代目である。

 

「明治時代に伝統工芸の技術を切り替えた」

明治時代の後期には「洋風化」の影響で西陣織も市況が悪くなった。

西陣織は手仕事であるから技術が必要で生産効率が非常に悪く1日に数センチほどしか織れない商品だ。更に市場も狭くなり需要も少なくなっていた。そこで当時の職人達はフランスの織物都市リヨンに若い職人を3名派遣して、機械で織機を動かす「パンチカード」の自動ジャカードの技法を習得し、西陣織の生産効率を高めたことを知って驚いた。よく京都の伝統工芸の西陣織がこのような大胆なことをやってのけたのと思う。従来の「守る事」「変えない事」を正しいとする固定観念を打ち破り、西洋の知識を伝統工芸に取り入れたのだから。

 

「西陣織の魅力価値を変えた」

細尾は西陣織の魅力価値は「日本的な和柄デザイン」だと思っていた。ここが他の企業が真似できない事だと信じていた。ところが2006年パリのメゾン・エ・オブジェ(展示会)に出してもこの「和柄デザイン」には殆ど受注がこなかった。ところが、そこにアメリカの建築会社から「和柄デザイン」ではなくて「織り柄の組織」での仕事の依頼が来た。つまり自分たちが信じていた「魅力価値」はお客様にとって「魅力」ではなかったのだ。当たり前に使っていた「織り柄技術」が「魅力」だったのだ。そして「魅力価値」を転換し「和柄デザイン」ではなく「織り柄組織」に変更したのだ。

 

「結果」

今では海外のアパレルのラグジュアリーブランドからホテルのインテリアまで受注が入り西陣織の歴史に新たな足跡を刻んでいる。

 

「現在の伝統を守る」=「強固な防御」=「事業の停滞」=「衰退」ではなく、

「明日の伝統を守る」=「革新」=「事業の拡大」=「挑戦」にならなければいけない事を教えてくれる。

 

ダーウィンの言葉を思い出す。

最も強い種が生き残るのではなく

最も賢い種が生き延びるでもない。

唯一生き残るのは変化に対応できる種である。