「築地」を「豊洲」に移転することはパリの「ノートルダム大聖堂」を「リヨン」に移す事と同じくらい馬鹿げている。銀座のアイデンティティはまさしく築地のような場所と、シャネルのビルや、歌舞伎座のような場所との間にある「緊張関係」によって生まれているのです。築地のように、銀座を銀座たらしめている場所がなくなってしまったら、どうなってしまうでしょうか。また、築地には多くの日本的な価値があります。築地は日本という国を最高の形で、なおかつ「生」で見せることができる場所なのです。技術、品質へのこだわり、伝統、人々の絆、味覚、美学――そうしたものがあそこには詰まっているのです。(シャネル ジャパン コラス社長)
ブランディング思考は「物」「事」ばかりではなく「地域」や「人」にも必要不可欠な事である。「築地移転」問題は、日本社会の中では「汚染問題」や「投資金額」の論点が優先されて、コラスさんのような将来的に及ぼす「地域ブランディングと魅力価値」の思想や哲学は非常に重要な事なのに、この観点が非常に欠けている論戦になっている。「築地」のブランド力を危惧したのは、「豊洲」に移ったら取引はしないと言った一部の「鮮魚店」や「料理店」だけだった。ブランドに携わる人や企画を進める人は特に、異なる価値観を持つ多人の意見やアイデアを聴く事が非常に重要だとも教えてくれる。ブランディングの本質は自分の足元だけにあるものではないのだ。
ブランドは幾つかの「要素・機能」によって成り立っている。その「要素・機能」の相乗効果がブランドの総合的な魅力を作りあげる。ブランドを継続的に「魅力」を持たせるにはこの「要素・機能」も進化しなければ魅力は消えてしまう。「築地」は「銀座」というブランドの非常に重要な「要素・機能」である。本物の「要素・機能」は自然に「イメージ」を生み出し社会に伝える力を持っている。「銀座」は近くに「築地」があるおかげで「新鮮」な食材がすぐに手に入るというイメージが育ち継続定着して来たのだ。歴史の繋がりの中で「イメージが育つ」という事は非常に重要である。つまり「築地」には歴史的な食文化資源が存在しておりそれは「豊洲」移転ではその歴史が地名と共に失われてしまう。「銀座」で食べるのは「築地」から仕入れた食材がイメージされて「価値増幅」されるが、「豊洲」から食材を仕入れたとなると「粋」な行為ではなくなってしまい「価値幻滅」がおこりそうだ。
この「イメージのパワー」を意図的に生み出す事は簡単ではない。かつて渋谷区は「渋谷センター通り」の不良的な刷新を図り「バスケットボール通り」というネーミングだけで健康的な場所のイメージにしようとしたが、根拠も何も無いので全く定着しなかった。事実から生まれるイメージだけが、年月を欠けて人々の心に浸透し拡散していくのだ。
皆さんのブランドの「イメージのパワー」と「統合的なブランディング」を見直してはいかがでしょうか。