「同一デザイン低単価大量生産」地球上の全ての人に同じものを着せようという「機能型ファストファッション」の目論みが壊れようとしてる。
本質的に人社会は「個の価値」の集合体なのだ。
「同一デザイン高価格少量生産のプレタポルテ」は車で言えば、ランボルギーニ フェラーリ ポルシェと言ったところだ。服で言えば高級ブティックの「吊るしの商品」である。しかし「1点物」ではないので決してオートクチュールではない。
車のファストファッションは「走る」価格軸から地球環境やAIの機能に価値軸が移動中である。ここで失われているのがスポーツカーとしての楽しさだ。服も非常に良く似ていて「自分だけの着る楽しさ」が現在欠如してアナログ的な楽しみが置いてきぼりにされている感じがする。
オートクチュールの服や車は顧客が参加出来、顧客と商品と作り手との関係を復活させてくれる。既成概念のスタンダードに合わせる事もなく「ガラパゴス的」な発想が大切。復活オートクチュールは「製造方法」や「原料」をITやSNSを駆使して使えば決して「高額」でなくとも実現できるのではないだろうか?
「同一デザイン機能型ファスト商品」は地球環境を破壊する。大量に原料を買い占め大量生産で低価格を提供するが、人は全て同じ価値観を持っていないので100%消化することはなく必ず在庫が残る。すなわち廃棄されて地球環境を破壊する。
そのような商品は買う人も大切にしなくなる。ファストファッションをやる企業は「原料消化率」を明記してもらいたいものだ。
物を作る産業はオートクチュール発想を取り入れてはどうだろう。
昨日、銀座の文房具店「ITOYA」でこんなキャッチコピーを見つけた。
「オートクチュールの手帳作ります」
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