3冠王を3度獲得した落合選手はバッティングで手袋を使わなかった。素手でバットを触れる事でバットと会話していたようだ。バットは体の一部、両腕の延長だと捉える。バットに感覚が宿るのだろうか。
バットと自分の感覚は、自身の体調 朝 昼 夜 季節 温度 湿気 全てが関与して毎日 同じ感覚ではないそうだ。バットを握る時間は体調が安定している午後4:00と決めてその日の感覚を確認していた。試合でバットを素手で握った時に右手と左手が上下で触れ合う。ここでどの部分をどの程度触合わせてボールを捉えに行くのか基準としていたそうだ。この貴重なポイントを革の手袋で覆ってしまうと皮膚感覚の微妙な調整が出来ないのでグローブは使わなかった。何という繊細さだろう。
マーケティングやブランディングでWEBよりも自分の目や肌で体験して感じとるという事に繋がると思う。「美は細部に宿る」と言うが、美しい打撃もまた同じなのだ。
また驚いたことに落合選手は指にタコができた事がなく、その代わりに親指の付け根を酷使して痛めるそうだ。落合選手はバットにボールが当たっても強くは握らない。バットとボールがなるべく長く触れている時間を作るために逆手の親指で遊びを持たせるそうだ。この感覚はピートローズさんも同じような事を言っている。マーケティングで市場を見つけ新たなブラディングを行う時に決めつけるのではなく、泳がせて掴むという事に繋がりそうだ。「変化する事だけが、変化しない事」だから、我々の腕も流動的であるべき事を教えてくれる。
豆を作って大打者になった選手もいれば、豆を作らずに感性や感覚を重視して大打者になった落合選手もいる。
現代のアンコンストラクチャル(非構造的)な世界では、感性と感覚が新たな価値を創造する源泉だと感じる。
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